大原野神社pleさんに二十二社を教えていただいてから、ちょっと意識しています。今回は京都に行って、二十二のうちの三社をやっつけよう(?)ということで三つが割合近い位置にある大原野神社と松尾大社と梅宮大社に行くことにしました。 まず、大原野神社です。 京阪東向日駅から、バスに乗りました。 なんとちゃんと調べておかなかったにもかかわらず、駅に着いたら大原野神社へ行くバスが待っていたかのように目の前にあるではありませんか。 時刻表をみたら、なんと一時間に一本でした。 超ラッキーです。 帰りも一時間に一本なのであらかじめ時間を見ておくことにしました。 バスに揺られること約20分。 着きました。 少し歩くと、目も前に鳥居が見えてきました。 大原野神社は、桓武天皇が都を奈良から長岡京(現向日市)に遷されたとき、天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれたそうです。 藤原氏の人や多くの供奉の人達はこの美しい風景を賞でて氏神春日大社の分霊を遷し祀ることにした。これが当神社の起りなのだそうです。 白壁に紅葉が鮮やかです。 藤原氏の一族では女が生まれると、中宮や皇后になれるように、この社に祈り、幸にして女が祈願通りの地位につくと美くしく行列を整えて参拝することが例となっていたのだそうです。 なかでも寛弘2年(1005)3月8日に中宮彰子が本社に行啓、御父左大臣藤原道長、紫式部以下がお供をした、その行列の絢爛さは、人々の眼をみはらせたと云います。 御本殿の 第一殿には建御賀豆智命(たけみかづちのみこと) 第二殿には伊波比主命(いわいぬしのみこと) 第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと) 第四殿には比賣(ひめ)大神が祀られ、 摂社若宮社には天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を祀っています。 古くから政治・方除・知恵の神として、また良縁を授けて下さる女の守護神としての信仰が篤いのだそうです。。 また清和天皇の皇后藤原高子が、まだ皇太子の御息所であった時、当社へ参詣になり、供奉の在原業平が、「大原や小塩の山もけふこそは 神代のことも思い出づらめ」との和歌を詠じて奉ったことは、有名なのだそうです。 六国史、大鏡等は勿論、源氏物語、その他有名な古典には当社のことがしばしば書きとどめられているのだそうです。 ↓は瀬和井(せがい)です。 清和天皇の産湯の水と言われており、紀貫之や大伴家持の和歌にも詠まれているくらい有名な清水なのだそうです。 この日は紅葉が綺麗でした。 そろそろ今年の紅葉も見収めからも知れないとしっかり見ておきました。 少し歩くと、門がありました。 春日不動尊です。 さすが、藤原氏ゆかりの場所ですね。 ここのお庭も綺麗でした。 さて、次は松尾大社を目指します。 一時間に一本のバスに乗り遅れないように歩きだしました。 |